ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2009年公開)

監督 デビッド・フィンチャー

出演 ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット

 

それは、老人として生まれ、若返っていくという数奇な人生を送る一人の男の物語。

 

81回アカデミー賞では13部門にノミネートされるという偉業を成し遂げ、タイタニックの14部門ノミネートに迫る勢いだった。また、第81回アカデミー賞の最多ノミネート作品ということもあって、何部門獲得するか非常に期待されていた。結果『スラムドッグ・ミリオネア』の独断場とはなったものの、『ベンジャミン・バトン』監督のデビッド・フィンチャーは作品の良さを決定づけるとも過言ではない、作品賞および監督賞にノミネートされ、主演のブラッド・ピットも男優賞にノミネートされていることからもわかるように、演出、演技、ミサンセーヌすべてがバランスの取れた作品となっている。一人の女性を一生涯愛し続けた男の人生を、静かに燃え続ける炎のように描いている。

 

あらすじ(ネタバレ注意)

病院のベッドに今にも息を引き取りそうな老女デイジーがいた。折しも時はハリケーンカトリーナがニューオーリンズに吹き荒れている時であった。デイジーは娘のキャロラインに、ある日記を読み上げるように頼む。その日記の持ち主はベンジャミン・バトンといった。

 

1918年、ニューオーリンズでは第1次世界大戦の終焉を喜び、町中に人々があふれ返っていた。そんな中、トーマス・バトンの元に生まれたのがベンジャミンだった。ベンジャミンの母親は出産直後に亡くなった。彼は生まれながらにして年老いていた。妻を失ったショックから、気味の悪いベンジャミンをトーマスは介護施設の裏口に置き去りにして逃げた。ヘルパーとして働くクィーニーは、階段に置き去りにされている赤子に気づき、ベンジャミンと名付け育てることにした。ベンジャミンは、長くはないと医師から診断されていたが、驚くべきことにどんどん若返っていくのだった。車イスも必要なくなった。そしてデイジーという少女に出会う。

数年後、車いすや杖を必要としなくなると、ベンジャミンはひょんなことからマイク船長のもとで船乗りになって自分で稼ぐ術を覚えていく。同じ時期、ベンジャミンの父親であるトーマスは、自分が父親であることは告げずにベンジャミンと交流を図っていた。ベンジャミンが酒や女を知ったのもこの時期だ。やがて船長とともに長い航海の旅に出たが、デイジーに対しては訪れた国々から欠かさず手紙を送っていた。

 

ロシアに滞在しているとき、ベンジャミンは同じホテルに滞在する英国人の女性エリザベスと出会った。エリザベスには英国の諜報員である夫がいたが、二人は惹かれあい、深い仲になる。しかし1941年の真珠湾攻撃でエリザベスは国に帰り、二人の関係も消滅してしまう。

 

ベンジャミンの乗る船は第二次世界大戦では、海軍に駆り出されて海の上にいた。しかし、敵軍の潜水艦に遭遇し、銃撃戦の末マイク船長は帰らぬ人となった。終戦後、ベンジャミンはニューオーリンズへ戻った。そして友人のトーマスが自分の父親であったことを知らされた。しかしトーマスは間もなく亡くなり、彼の持つボタン工場と邸宅は遺産としてベンジャミンに託された。

 

その後ベンジャミンはデイジーがニューヨークでバレエダンサーとして成功していることを知り、デイジーのもとへ駆けつけた。ベンジャミンの突然の訪問に喜ぶデイジーだったが、彼女には恋人がいた。デイジーへの思いがかなわないことを知り、ベンジャミンは去っていった。しかし、デイジーがパリで事故に遭ったとき、ベンジャミンはすぐに駆けつけた。さらに若返り美しくなったベンジャミンにデイジーは引け目を感じ、強引にベンジャミンを追い返してしまう。

 

数年後、デイジーはニューオーリンズに戻ってきた。二人の間に立ちはだかる障害は何もなく、自然と二人の交際は深まっていった。ベンジャミンは父の家を売り、デイジーと二人で新しい家に住み始めた。そこでは起きたいときに起き、食べたい時に食べる、といったストレスのない自由で幸せな生活を送っていた。しかし、二人の間に子供ができると、子供が大きくなった時に父親の自分が子供よりも幼くなってしまうことにベンジャミンは言いようのない不安を抱えていく。二人の子供キャロラインが生まれて間もなく、ベンジャミンはすべての財産をデイジーに残し、一人去っていくのだった。

10数年後、デイジーは再婚し、娘のキャロラインと3人で暮らしていた。ある日、彼女の経営するダンススタジオに、20代のベンジャミンがやってくる。長い別離にも関わらず、二人はまだ愛し合っていた。ベンジャミンがデイジーのダンススタジオにやってきた夜、デイジーはベンジャミンの泊まるホテルへやってきた。二人は愛し合うが、年老いて体の線が崩れたデイジーにとってベンジャミンは若すぎた。

 

ベンジャミンは再び旅立ち、さらに若返っていった。しかし若返るとともに、高齢者特有の病気を発症し始めた。アルツハイマーになったベンジャミンは、自分やデイジーのことを忘れ、ソーシャルワーカーに保護されていた。ベンジャミンの日記から、デイジーの居場所を突き止め、10代のベンジャミンをデイジーは養うことになった。ベンジャミンの記憶はなくなってしまったが、彼が赤ん坊になってデイジーの腕の中で息を引き取るまで、二人はもう離れることはなかった。その後間もなくしてハリケーンカトリーナが直撃するニューオーリンズで、デイジーも静かに息を引き取るのであった。

 

映画化まで

『ベンジャミン・バトン』は『華麗なるギャッツビー』の著者として知られるF・スコット・フィッツジェラルドの同名小説を映画化したものであるが、実は映画化の話が出たのは何も今回に始まったことではなかったそうだ。というのも、すでに1998年にはロン・ハワード監督とジョン・トラボルタの出演を想定してロビン・スウィコードが脚本化を進めていた。映画化は現実とはならなかったが、さらに2000年にはパラマウントがジム・タイラーという脚本家を雇い、小説の映画化を考えていた。監督にはスパイク・ジョーンズを起用するつもりだった。さらにはちょうど同じ時期、『マルコビッチの穴』等で知られるチャーリー・カウフマンも脚本に取り掛かっていたという。

最終的に映画化が決まったのが、脚本家エリック・ロスの脚本で業界人が映画化を試みて約10年後のこととなる。エリック・ロスはあの『フォレスト・ガンプ』の脚本家としていられている。2004年、当初はゲイリー・ロスが監督として名を挙げていたが、結局『ゾディアック』との2本組みでデビッド・フィンチャーに決まった。パラマウントとワーナーブラザーズの共同出資となったが、パラマウントが海外、ワーナーブラザーズがアメリカ国内の市場を獲得することになった。そして200611月にやっとクランクインするのであった。

 

キャストのうち、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットは一番に決まったのだが、ベンジャミンと恋に落ちる英国夫人を演じたティルダ・スウィントンやベンジャミンを育てたクィニーを演じたタラジ・P・ヘンソンがキャストとして決まったのはクランクインのわずか2か月前という俳優にとっては急な配役であった。その中でも約2か月という短い役作りの時間でオスカー候補となったタラジ・P・ヘンソンの演技には目を見張る。

多くの映画人がこの『ベンジャミン・バトン』の映画化に挑戦していたのを、デビッド・フィンチャー自身も知っていたという。彼が初めて原作を読んだのは、16年前にさかのぼるが、その他にも映画化されなかった第1番目の脚本にも目を通したそうだ。さらに、エリック・ロスの脚本を読んだのは、製作に入る5年も前だという。そんな彼が本作の監督に意欲を見せたのは、映画終盤のあるシーンが非常に美しいと感じたからだ。そのシーンとは、74歳のデイジーが赤ん坊の姿をしたベンジャミンを腕に抱くシーンだ。ラブストーリーの終焉を非常に美しく描いているという。年老いたデイジーの腕に抱かれたベンジャミンはもはやデイジーが誰なのか、そして自分すらわからなくなっている。しかし、一瞬ベンジャミンはすべてを思い出したかのように美しい瞳でデイジーを見つめ返すのだ。思えば、約80年という人生を別れと出会いを繰り返しながら二人は過ごしてきた。お互い別の人間を愛する時もあった。すっかり外見は変わってしまったけれど、この最後の約10年間二人はずっと一緒にいることができたのだ。それがせめてもの救いである。

 

ブラッドピットが本作に関わるようになったのは、エリック・ロスが脚本に携わるよりも前だという。本作は前述の通り、誰の手によっても映画化することのできない難のある作品だった。ロン・ハワードもスピルバーグも今の技術では無理だとあきらめてきた。しかし製作側は、ブラッドピットを主人公に配役を考えていた。そこでブラッドピットは、この若返っていく男の話をフィンチャーに持ちかけた。フィンチャーも定かではないそうだが、製作側としてはブラッドピットをキャストに入れたいという思惑のほうが強く、本作の監督は最初からフィンチャーと決まっていたわけではないようだ。

 

最新CG

 

ベンジャミンの幼少期をのぞいて、ブラッドピットは老年期から青年期までのベンジャミンを演じている。だがさすがのブラッドピットも、80歳の老人の縮んだ身長や背中や関節の曲がり具合までも表現することは困難である。そこで活用されたのが最新CGである。CGは近年アメリカ映画でも頻繁に使用されているが、本作ではブラッドピットの顔を別のスタントマンの首から下に映像としてくっつけることにした。まず、ベンジャミンの年齢に分けて背の高さがいずれも異なる男性スタントマンを用意した。そして体だけの演技になるため、後でCGで合成できるように、頭からはブルーのソックスをかぶってもらったという。そして撮影が終わると特殊技術を使用して演技するブラッドピットの顔とスタントマンの体を組み合わせるのだそうだ。スタッフは、青いソックスを頭からかぶったスタントマン達のことを、ベルギーの漫画に出てくる「スマーフ」と呼んだ。

 

デビッド・フィンチャー

デビッド・フィンチャーは幼いころから映画界と非常に近いところで育ってきた。というのは、生まれはコロラド州デンバーだが、すぐにマリンカウンティに引っ越してきた。マリンカウンティといえば、ジョージルーカスが住まいを構える地域であるが、映画製作を志すにはぴったりの場所だ。そんな中、フィンチャーが映画界に入るきっかけとなったのが、7歳のころにテレビで見た、ポール・ニューマンの『明日に向かって撃て!』のメイキング映像だったそうだ。さらに彼の住む町では、『アメリカン・グラフィティ』や『ゴッドファーザー』、『ボディスナッチャー』の撮影が行われていた。映画がありふれた場所でフィンチャーは育ったのだ。だが、フィンチャーは多くの同世代の映画人とは異なり、映画学校等に在籍したことはない。ILMという映像関係の特殊効果を主に提供する会社で数年働いていた。フィンチャーが映画学校に行かなかったのは、興味深い映画学校が少なかったこともあるが、高い授業料を払って映画学校に行くよりも会社で働きながら技術を吸収するほうが数段自分のためになると考えたからだ。

フィンチャーはミュージッククリップも手がけてきたが、彼がミュージッククリップを製作するのはごく自然な流れだったのだろう。というのも、彼が小学生のころ、映像制作のクラスがあったそうだ。16mmのビデオカメラで毎年、あるひとつの曲に合う映像を撮るのだ。そのため、MTVでミュージッククリップを製作するようになってもそれは特別なことではなく、彼が幼いころからやってきたことなのだった。

 

ミュージッククリップだけでなくメッセージ性のある作品を作り始めていたフィンチャーに、映画界は『エイリアン3』の監督の座をオファーした。彼は結局この『エイリアン3』である意味印象的な映画監督デビューを果たすわけだが、フィンチャーはこの『エイリアン3』を監督したことを今でも後悔しているという。『エイリアン』シリーズの中でこの3番目が一番嫌いだという人間は多くいるが、誰よりもこの『エイリアン3』を嫌っているのは、自分だ、とフィンチャーは断言する。そのためDVDの別エディションなどは彼は見たこともないし、見るつもりもないという。

 

ただ、ここからフィンチャーの怒涛の快進撃が始まるわけである。

 

フィンチャーはハリウッドの面白さを語っている。ハリウッドは失敗から立ち上がるのに最適の場所である、と。また、自分の失敗作よりももっとひどい映画を作った映画人はハリウッドにあふれ返っている。さらにはまだまだ現役の映画人もいる。そんな光景を目の当たりにしてフィンチャーはもう一本映画を撮ることを決意するのだ。それが『セブン』だった。

 

当時アンディー・ウォーカーという脚本家がセブンの脚本を書いていた。だが、すでに13回も書き直しをしているのにも関わらず、完成しないのだった。その話を聞き付けたフィンチャーのエージェントが、フィンチャーに脚本を読むように勧めた。映画にも出てくる、最後の衝撃に、フィンチャーは心を動かされ、すぐさまアンディーに連絡を入れた。しかし、返ってきた答えは「ああ、それは古いほうの脚本だ」。最新版の脚本を手にいれ、読んだがラストに納得がいかなかったフィンチャーは、ニューラインシネマのマイク・デルーカに直談判して最初に読んだ脚本で映画化することができたのだった。

 

『セブン』の脚本が優れている点の一つは、グロテスクなものを「見せる」のではなく、「見せない」で恐怖や感情を掻き立てることだ、とフィンチャーは言う。もちろん、セブンのシリアルキラーによって惨殺された被害者たちは、カメラを通してグロテスクな姿を観客にさらけ出す。だが、ラストシーンはそうではない。ここでは、敢えてグロテスクさを「見せない」が、主人公の怒り狂う姿から私たちは状況を察することができる。あの箱に何が入っているのか、どんな状態なのかは頭の中でイメージとしてできあがる。頭の中にできたイメージとは視覚から入った記憶よりも鮮明に残るのである。このことは、フィンチャーが知り合いと『セブン』のラストシーンについて語った時に裏付けられた。その人物は「なぜ箱の中身を見せたのか?」とフィンチャーを非難したそうだ。もちろん、映画では箱の中身を観客は見ることができない。しかし何が入っているかはわかっている。見てないのにあたかも見たかのように記憶してしまったのは、それだけこの人物が受けた衝撃が強かったためと思われる。このようにして、あるべきものを「見せない」で観客に衝撃を与えるテクニックをフィンチャーは特殊メイクよりも重宝しているのだ。

 

若返ること=死が近づいていること

 

 

通常私たちは老いていくが、死をそれほど意識しているだろうか。もちろん、病気であったり、80歳や90歳といった高齢になってくると健康な人や若い人よりも死が近いことを意識するようになる。だが、「いつ」死ぬのかは自殺しない限り誰にもわからないことだ。これに対してベンジャミンバトンはいつ死ぬのか、生まれたときからわかっている。老人の姿で生まれたのだから、赤ん坊になって死んでいく。幼くなったベンジャミンが屋根の上で遊んで降りて来ないシーンがあった。外見ではあんなに小さな男の子なのに、彼の余命は数年と決まっているのだ。痴呆からデイジーのことも忘れてしまうが、あんなに生命力に満ち溢れた外見であるからこそ、自由を奪われていくこと、死が待ち構えていることに衝撃を覚える。

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

http://web.orange.co.uk/article/david-fincher-interview

http://www.guardian.co.uk/film/2009/feb/03/david-fincher-interview-

 

 

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