エレファント(2003)

監督 ガス・ヴァン・サント
出演 ジョン・ロビンソン


1999年、コロラド州ジェファーソン郡にあるコロンバイン高校で 世界を震撼させる銃乱射事件がおこった。 本作はこの事件をテーマに、 銃乱射が起こるまでの高校の静かな日常をドキュメンタリータッチで淡々と見せていく。

『エレファント』の監督は、 『グッドウィル・ハンティング』で名を馳せたガス・ヴァン・サント。 自らを同性愛者だと公言し、ホモセクシュアリティ、薬物依存、 または社会のアウトサイダーを題材に映画を撮ってきた。 この映画は米国アカデミー賞の複数部門でノミネートされ ヴァン・サントは監督賞にもノミネートされるが、惜しくも受賞は逃している。 2003年カンヌ国際映画祭では、賛否両論ではあったものの、 見事パルム・ドールと監督賞を受賞。

『エレファント』と彼のもう一つの作品『ジェリー』は ハンガリーの映画監督タル・ベーラの影響を受けているという。 タル・ベーラの『サタンタンゴ』のシーンの重複は特に『エレファント』においても見られる。 タル・ベーラだけでなく、アンドレイ・タルコフスキーやジャンスコ、 ソクーロフからも発想を得ている。

タイトルのエレファントがつけられたのには様々な説があるが、 その一つはアランクラークの1989年の同タイトルの映画からきたという説だ。 また、ヴァン・サントは、数名の盲目の人々が象の異なる部分を触り、 その描写がそれぞれ異なる、という逸話から、 一つの物事に対して無数の観点がもたらされることを表現した、ともいわれる。 5人の盲人が一匹の象を触ってみて、何を触っているのかをたずねた。 一人は「しっぽがあるからこれはロープだ」といい、 また一人は「根っこを感じることができるからこれは木だ」といい、 さらに「側面があるからこれは壁だ」という者もいた。 5人いれば5人異なる部分に注目し、異なる解釈をもつ。 またその解釈は決して全体的なものではなく、 裏を返せば、答えは一つではないということになる。

このことは、ヴァン・サントの『エレファント』の中でも明確に表現されている。 コロンバイン高校銃乱射事件があったという事実を前提に 映画を見る観客が賛否両論の声を上げることはもちろんのこと、 映画の中で登場する高校生が一人ひとり異なる、 さまざまな問題に対面していることもこの『エレファント』の多面性を作り上げている。 たとえば、トイレに行くにもダイエットのために 食べたランチを吐き出すのにもグループでいかなければ 仲間はずれにされてしまう女子生徒の友情に対する価値観であるとか、 アルコホリックな父親の存在に苛立ち、さらに校長に呼び出されて叱責され、 さらに苛立ちをつのらせるジョン、写真という熱中できるものを持ち、 ひたすらシャッターを押すことに没頭するイーライ、 容姿もスタイルも冴えず、 何をするにも愚鈍で他の生徒からは嘲笑の的になっているミシェル、 アメフトの花形プレーヤーで、恋人とはラブラブ、 そして学校の女子生徒からの憧れの的であるエリック、 そしてバイオレントなテレビゲームに夢中になり、 学校や他の生徒を恨んで仕返しを企むアレックス。 これらの人間関係はあのクライマックスまで事細かに、 そして静かに描き出される。登場するこれらの主要な高校生たちは、 知り合いであったり、 廊下ですれ違うだけで顔を何回か見たことのあるくらいの関係であったり、様々だ。 銃乱射事件があったという事実が私たちの中にあるので、 クライマックスの衝撃の前に描き出される高校生たちの日常は あまりに「普通」で「静か」なのである。

『エレファント』のロングテイクや即興の演技、 静かに流れる時から察するならば、 ヴァン・サントは決してこの映画をエンターテイメントと位置づけようとはしていない。 映画を見ればわかるように、主人公なんてものは存在しない。 ヒーロー映画でもなければアンチヒーロー映画でもない。 カメラは事件を起こす2人も、射殺される高校生も、 全て均等に映し出し、「誰が悪いか」を決めようとはしない。 むしろ銃を乱射した2人こそ、社会の生み出したモノや価値観の犠牲になった哀れな、 報われるべき子供たちであることを痛感させられる。 おそらく放任主義で、親子間の会話はあまりないアレックス。 親の与えたカードで何でも手に入ってしまう。 アレックスがライフルをインターネットで買っていることを両親はよもや知るまい。

また、テレビのドキュメントのように、真実味あふれるものであるが、 余計なナレーションは一切なく、 私たち観客はコロンバイン高校で起こった銃乱射事件の突然さを傍観者として体感する。 この事件を百人の監督がそれぞれ映画化するのならば、 百通りの映画が出来上がるだろう。 『ボーリング・フォー・コロンバイン』を撮ったマイケル・ムーアは、 ドキュメンタリーとして銃乱射事件に至った原因をしらみつぶしに挙げていく。 ムーアの独自の見解が映画の流れを動かす。 しかし、ヴァン・サントの『エレファント』のような、 あってないようなストーリーの展開は、 ムーアのように出来事の核心や原因をつくものではなく、 事件後に語られる客観的なニュースとも異なり、 見るものをその場にトリップさせ様々な思いを抱かせる。

ヴァン・サントはこの『エレファント』を見ることで、 カメラの前で何が起こっているのか、 観察して自発的な意見を持ってほしい、という。 もっと手の込んだドラマティックなストーリー展開もできるが、 それはヴァン・サントの意図するものではない。 自分の考えや答えをこの『エレファント』に提示するのではなく、 観客に解釈の余地を与える。

『エレファント』にはもちろん脚本がある。 セリフは即興であるものの、おおよそのアウトラインはヴァン・サントが書いておいた。 たとえば、少女たちがランチを食べながら ボーイフレンドやショッピングの話をするシーンがあるが、 あれもヴァン・サントが少女たちになりきったつもりで話題を考えた。 しかし、彼女たちが演じる際には極力アドリブで、 自然な会話ができるような自由な演技をさせたという。




撮影が始まるまで
この『エレファント』のきっかけは、 もちろんコロンバイン高校での事件だった。 もともと、ヴァン・サントはテレビ番組用に青少年をテーマにしたものを作ろうとしていた。 そしてハーモニー・コリンが脚本の予定だった。 そんな時におこったコロンバイン高校の事件を テーマにしたテレビ用のドラマを作ろうとした。 しかし、いざプロダクションに持ちかけると、 コロンバイン高校銃乱射事件を具体的に映像化するのは 悲劇の後では刺激が強すぎる、と誰もがNGを出し、 投資することに皆腰が重かった。 そんな中アメリカのテレビ局HBOのヘッドであるコリン・カレンダーと ダイアン・キートンだけがヴァン・サントに手を差し伸べた。 それでも淡々と語るだけの『エレファント』のストーリーテリングに疑問はあったようだ。

ヴァン・サントは、BBCのために作られた アラン・クラークの”Elephant”のようなものなら作れるのでは?と提案があった。 それがこの『エレファント』の起点ともなり、 ヴァン・サントは故郷であるポートランドで撮影に取り掛かった。 どこにでもあるような普通の高校で起きた悲惨な事件を映像化するために、 演技経験のない高校生を募った。そしてセリフが全てアドリブ。

ヴァン・サントはこの”Elephant”は見たことがなかったが、 ハーモニーコリンもこの”Elephant”を絶賛しており、 それなら自分が脚本を書くと言い出した。 しかし、コリンは結局書かなかった、とヴァン・サントは言う。 そこで、『サラ、いつわりの祈り』の原作を書いた小説家JTリロイに脚本を頼む。 プロデューサーのダイアン・キートンはリロイ版を気に入ったが、 当のヴァン・サントはありきたりだと感じ、 結局大まかな流れ以外に脚本や俳優経験者がいない ヴァン・サントの『エレファント』が作られることになった。


撮影
『エレファント』の撮影は、 いつでも変更可能な軽くまとめられた脚本を基にスタートした。 キューブリックの『時計じかけのオレンジ』のように、 8mmレンズを最初用いたが、映像がクリアでないためにうまくいかなかったという。

ヴァン・サントの一番好きなシーンは、 ピアノを弾いているアレックスの後頭部から撮ったシーンだそうだ。 このアレックスが弾く曲はもともと、 シアトルのジャズミュージシャンに作曲を依頼する予定であった。 しかし、ある日、アレックスが撮影の合間にカフェテリアのピアノで ベートーベンの『月光』を弾いていたのを監督が気に入り、そのまま使うことになった。


ガス・ヴァン・サントの映画製作
大学を卒業した後、ロスに移り、 映画界に挑戦しようとハリウッド大通にあるカフェに 一日中座って人間観察をした。 その対象の多くは貧しいながら上を目指している青少年だった。 夢を抱いてロスにやってはきたものの、チャンスに恵まれず、 日々の生活をしていくために、自分を売ったり物乞いをしたりする若者たちに、 ヴァン・サントは魅了されたという。 そして通常ハリウッド映画では路上であくせくしている青少年たちに 焦点を当てることは少なかった、とヴァン・サントは認識していた。 そんな部分に彼は映画のテーマを絞っていく。

しかし、彼が一番目の映画を作るまでにはすでに30代をまわっている、 という早くはないスタートであった。

90年代後半、監督はPinkという小説を書いた。 『マイ・プライベート・アイダホ』で出会った故リバー・フェニックスを主演に、 新たな映画を予定していたが、 フェニックスの死後そのプロジェクトは日の目をみることはなくなった。 このPinkは、ある美しい俳優に執着する監督の話であるが、 その俳優はドラッグの過剰投与で突然死する。 これはリバーフェニックスの死からくるものだ。 ヴァン・サントは以前フェニックスの隣家に住んでおり、 プライベートでも仲が良かった。 そのため、フェニックスの死を心から悼んだ。 いつか、また映画をやろうと約束を交わしたままその約束が果たされることはなかった。

『マイ・プライベート・アイダホ』は高予算の割に興行収入は低かった。 しかし、次の二コール・キッドマン主演の『誘う女』はヒットし、 彼の監督業により広い選択肢が加えられることになった。 また、ラリー・クラークの『キッズ』の エグゼクティブ・プロデューサーを務めるなど、 監督業以外の活動も行っている。 しかし、彼の名が最も知れ渡ったのは、 マット・デイモン、ベン・アフレックが共同で書き上げた 『グッドウィル・ハンティング』であろう。

ヴァン・サントは『グッド・ウィル・ハンティング』や 『小説家を見つけたら』まで、 典型的な「ハリウッド映画産業」というべき完全分業の産業に身を投じてきた。 どうして雇われ監督的なポジションで映画を作ってきたのか、 という質問に対しヴァン・サントはこういう。 自分が作り出す映画に変化をもたらすためにはメインストリートを知る必要があった、と。 自分がこれまでとは違う、自分の映画を作るには、 「温故知新」ともいうべき精神、つまり、現存する方法を知った上で、 それとは違う、斬新でユニークな映画を作り出すことを念頭においていたのだ。

『グッドウィルハンティング』や『小説家をみつけたら』は 彼の初期の映画とは異なるものではあるものの、内容は一貫している。 これらの映画は、数学を通じて、または書くことを通じて、 自分の居場所を求める、悩める若者達に焦点を当てる。

監督がこの若い世代を映し出すのは、 彼らの年が人生で一番バイタリティや活気がある時期だからだという。

その後生み出されるヒッチコックのリメイク『サイコ』は 興行としてはふるわなかったが、ヴァン・サントが長年撮りたかったものだそうだ。 しかし、スタジオに声を掛けてみたが、馬鹿らしい、と門前払い状態だった。 『グッドウィル・ハンティング』の成功によってヴァン・サントが 金を生み出せる監督だと証明されると、 今までの倍となる破格の予算を提示されたのだそうだ。

ヴァン・サントは破滅しかけた人生を送る人々と関わり合うことが多い。 ドラッグストアカウボーイで共著した薬物依存の小説家ウィリアム・バロウズや、 『KIDS』の脚本を担当したハーモニーコリン、 グッドウィルに曲を提供した、自殺したエリオット・スミス。 ヴァン・サントは彼らのワイルドな部分に興味を惹かれるという。 破滅的な面は自分にはないため、だからこそ正反対な面を持つ彼らに惹かれるそうだ。




参考インタビュー
http://www.cinecon.com/news.php?id=0310242
http://www.geraldpeary.com/interviews/stuv/van-sant-elephant.html
http://film.guardian.co.uk/interview/interviewpages/0,6737,1128806,00.html
http://www.sensesofcinema.com/contents/05/36/elephant.html