街のあかり (2007)


監督 アキ・カウリスマキ
主演 ヤンネ・フーティアイネン

カウリスマキの名が国際的にもっとも広がったのは、おそらく前作「過去のない男」である。 2002年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、 2003年アカデミー外国語映画賞にもノミネートされる。 しかし、カウリスマキは戦争状態である当時のアメリカでのこの祭典に憂いを感じ、 このアカデミー賞授賞式に出席することを拒否。 そしてこの「街のあかり」も2006年9月、アカデミー外国語映画賞のノミネート候補に選出されたが、 1ヶ月後の10月にカウリスマキはこのオスカーレースから辞退している。 その理由は、賞レース嫌いのため、と公言しているが、 別の理由にブッシュ大統領の外交政策へのボイコットでもあるとも言われている。

2003年、カウリスマキは第40回NYフィルムフェスティバルをボイコットする。 その背景に、イラン人監督アッバス・キアロスタミがイラン人である、 という理由から同フィルムフェスに参加するためのビザがおりなかったことがある。 これに怒りと悲しみを感じたカウリスマキは、このフィルムフェスの存在を称えつつも、 米国への反感から参加を拒否したのである。

この「街のあかり」はカウリスマキのloser(負け犬)三部作の最終章である、と言われる。 一部の「浮き雲」、二部の「過去のない男」、 そしてこの「街のあかり」で構成される彼の三部作は 不況、ホームレス、孤独といったいずれもじめじめしたテーマを淡々と語る。 しかしどん底の中で結論として提示されるのは本当の愛や人間のつながりなのである。

カウリスマキ映画の常連であり『浮き雲』『過去のない男』でも主役級の演技をはった女優、 カティ・オウティネンは今回この『街のあかり』ではカメオ出演にとどまっている。 しかしほんの10秒程度の出演でも、おそらくカウリスマキファンにはたまらない瞬間である。 主演のコイスティネンが恋をするマフィアの情婦、 ミルヤはコイスティネンを窮地へと追い込むファムファタール。 一部の批評家は『街のあかり』を現代版フィルムノワールと表現する。

コイスティネンは警備会社で警備員として夜のビルを見回っている。 友達も、恋人もいない孤独な男だ。自分には才能や人間力がないことに気づかず、 向上心だけが強く、独立して会社を作るために融資を受けに銀行に行くが、相手にもされない。 ホットドッグスタンドで働くアイラは友達だ。 しかし、アイラがコイスティネンに好意を持っていることは気づこうとしない。 そんなコイスティネンはある日、美しく魅力的な女性ミルヤに出会う。 このミルヤはギャングの娼婦であり、コイスティネンが警備会社で働いていることを知って、 巡回先である宝石店の宝石を盗み出すためにミルヤは差し向けられた。 コイスティネンは、宝石が盗まれたことの責任を取って入牢するのだが、 決してミルヤの名を警察に知らせなかった。 どこまでもお人よしの彼が何もかも失った後に見つけるものは・・・

不自然なほど役者が無言で会話がなく、 その代わり目線や動作がかもし出す雰囲気はカウリスマキならではの手法であるが、 『街のあかり』でも泳いだ目線やカメラから外れた視線は、 普通は映画の中ではないがしろにされてしまう人間の「ぎこちなさ」をうまく表現している。 また、登場人物のほぼ全員が暇があればタバコを吸っているほどのヘビースモーカーなところにも、 カウリスマキの禁煙反対の思いが表れている。

カウリスマキが初めて映画製作に興味を持ったのはいつか、 という質問に対して、彼が16歳のときロバートフラハティの『極北のナヌーク』 とルイスブニュエルの『黄金時代』の二本立てを見たとき、 映画という媒体は商業的にかなり収益をあげられるものと認識したのが始まりだったが、 今となっては映画自体がお金を生み出すものとはもはや考えられないと言っている。

また、『街のあかり』の構想が生まれたのは、三部作の終焉として、 そして前作の『浮き雲』『過去のない男』の登場人物に表されるような 超楽観主義者が陥る犠牲者としての存在を描き出すためだった。 こう三部作を完成させることで、「この世の楽園」を描写しようとしたのである。 カウリスマキはこの『街のあかり』を作るに当たって、 彼自身が嘘をつくのが嫌いなため、いわゆる「現実的」な映画を作ることを志したそうだ。 もちろんラスト18フレームには「希望」がこめられているが、それを除いて、 主人公コイスティネンはぼろぼろになるまで貶められる。 また、『街のあかり』というタイトルからわかるように、 この映画はチャールズチャップリンへのオマージュ的作品であり、 ロベールブレッソンへのオマージュもこめられている、とカウリスマキは語る。

カウリスマキの映画はいつも低予算であるが、実はそこにメリットがあり、 全てを最小限に抑えることで資金繰りやプロデュース、配給までスムーズに事が運ぶそうだ。 さらに、カウリスマキ自身で脚本から編集まで行なうことから、 ハリウッドシステムのように分業化されることも交渉ごとも少なく、 孤独ではあるが監督一人に多くの権限が与えられ「カウリスマキの映画」と呼ぶことに抵抗がない。

カウリスマキの最近のお気に入り映画はジムジャームッシュ作品と、 ダルデンヌ兄弟作品だそうだ。 ジャームッシュとカウリスマキはお互いに尊敬の念を抱いているのは、 ジャームッシュがカウリスマキ作品に登場する役者を『ナイトオンザプラネット』に起用したり、 ジャームッシュがカウリスマキの『レニングラードボーイズゴーアメリカ』に出演することからも見てとれる。 さらに、このインタビューで一番にジャームッシュの名前を挙げることからも、 二人の親交は深いものと思われる。

参考インタビュー
http://www.indiewire.com/people/2007/06/indiewire_inter_77.html



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