ラスト、コーション(2007)



監督 アン・リー
出演 トニー・レオン、タン・ウェイ


ラスト(Lust)とは肉欲、コーション(Caution)とは警戒。 監督アン・リーは同性愛を描いた『ブロークバックマウンテン』につづき、 今回は自分の原点である中国(出身は台湾)に戻り、 惹かれあう男女の肉欲と警戒心の葛藤を見事に描いた。

1942年、日本占領下の上海。若く美しいマイ夫人(ワン)は 同じく煌びやかな夫人たちとのマージャンに興じた後、 一人、町のカフェに入る。マイ夫人は物思いにふけ、 スクリーンは彼女の過去へとさかのぼる。 1938年、マイ夫人がまだ「マイ夫人」を演じる前、 香港の大学に通うワンという若く可憐な女子学生であったころのことだ。 友達に演劇部に誘われて愛国心の強い男子学生クァンに出会う。 ワンは主演女優になり抗日をテーマにした愛国劇を熱演して観客はクァンの劇団に盛大な拍手を送った。 興奮冷めやらぬ彼らは、 夜の街に繰り出して傀儡政権を打ち倒そうと士気を高める。 そこでターゲットとなったのは、 日本政府の下でレジスタンスを弾圧するイー(トニー・レオン)であった。 いつでも厳重な警戒態勢におかれているイーに接近するために、 彼らが考えたのはまずイーの妻に近づくことであった。


そこでワンが貿易商の妻になりすまし、イー夫人と親しくなり、 イー邸での恒例の麻雀に参加するなど一目置かれる存在にまでなる。 その間、イーに視線を送りつづけるワン。 警戒心の強いイーはマイ夫人に次第に惹かれて行く。 クァンらの待つアジト兼邸宅にイーを誘い入れ、 後少しのところでイーを暗殺するところであったが、 事態が急変し、イーは香港へと移動してしまう。 一旦、クァンらの暗殺計画も無駄に終わってしまった。

3年後。ワンは音信不通になっていた。 そしてイーと夫人がまた上海にもどってきたことで、 また暗殺計画を再開することになる。 クァンは今度は強力な抗日組織がバックにつき、 ワンを探し出し、彼女もまた組織の一員となる。 そして危ういながらもワンはイーと親密な関係になる。 二人の激しい肉体関係はしばらく続き、ワンにもイーにも微妙な心の変化が表れ始める・・・

監督は『ブロークバック・マウンテン』でアカデミー賞を総なめにし、 自らも監督賞を受賞した台湾出身監督アン・リー。 この監督は文芸大作の『いつか晴れた日に』や、アクション大作『ハルク』、 カンフーベースのワイヤーアクション『グリーンデスティニー』を手がけるなど、 マルチな才能を発揮してはいるが、 常に人々の心を揺さぶる映画を作ることを念頭において映画製作を行っている監督だといえるだろう。 彼の映画に共通してあるのは人と人のつながりが生むドラマである。 メロドラマのようにチープだと、映画を見る目が肥えた人々は言うかもしれないが、 アン・リーは芸術的にも商業的にもバランスが取れた監督だといえよう。

原作は中国の小説家 張 愛玲(アイリーン・チャン)の 『惘然記』に収録されている短編『色、戒』である。 アン・リーは、この張 愛玲(アイリーン・チャン)の原作を 映画化することに二つの思い入れがあったという。 一つに、中国の近代文学には愛国精神が描かれているが、 この張 愛玲(アイリーン・チャン)の小説には愛国精神とは相反する 「女性のセクシュアリティに対する考え方」が描かれていることが挙げられるという。 アン・リーはしばらくこの小説の描く、女性の性に当惑して頭から離れなかったという。 そのため、この女性の性を正面から見つめることにした。 そしてもう一つ、この小説はアン・リーの人生そのものである。 主人公のワンは、演劇を通して自分の可能性を試した。 そして信念を貫くべく同士クァンらと行動をする。 同じく監督アン・リーも、18歳のころ演劇の世界に身をおき、 ワンのように劇の後、雨の降る中、町を練り歩いた経験があるという。

しかし、アン・リーは、原作を忠実に映画化したわけではない。 アン・リーは、原作にしたためられた原作者の強い感情、 例えば愛や残酷さを表現したのだという。

張 愛玲(アイリーン・チャン)の原作は、ずいぶん前から知っていたという。 映画化を考えたのは、ちょうど『ブロークバックマウンテン』が仕上がるころだったという。 張 愛玲(アイリーン・チャン)は多くの中国人に愛されている小説かであるが、 何故かこの『色、戒』はあまり表沙汰になっていないという。 初めて原作を読んだとき、アン・リーは他の作品とあまりに違うことに驚いたという。 敵国日本との史上最悪の戦争を舞台に、 女性の視点から見たセクシュアリティを表現したこの小説に、アン・リーはしばらく悩まされた。

アン・リーが本作を作る際、アメリカの観客がどう評価するかはあまり気にしていなかったという。 それよりも、アジア圏の観客が本作をどう思うかが気になっていたという。 というのも、女性のセクシュアリティについて、 中国文化や歴史は皆無といっていいほど語ってこなかったからだ。 その中で、張 愛玲(アイリーン・チャン)の原作は日本の占領下という 忌まわしい過去を舞台に女性自身の視点からセクシュアリティを語っている点で アン・リーの興味を強くひいた。映画化を志したとき、 同性愛のカウボーイを題材にした『ブロークバック・マウンテン』を 描くよりも本作は恐怖を感じていたという。

ワンとイーの激しい肉体関係は、二人が真の愛を見つけるカタリストとなる。 アン・リーは激しい肉体関係に愛が芽生えてくることについて、こればかりは謎であるという。 もし私たちが「愛」とは何か、すでにわかっていたのなら、 ラブストーリーたるものは3000年以上も前に語りつくしてしまっただろう、というのが彼の見解である。 この『ラスト、コーション』には決して珍しい愛が描かれているわけではない。 愛してはならない敵を愛してしまった、などというストーリーはシェイクスピアは 『ロミオとジュリエット』ですでに語っている。 それでもこの世に今もなおラブ・ストーリーが溢れ、 ある者は涙を流さずにはいられないのは、 愛が普遍的であるものにも関わらず常に不可解なものであるからなのだろう。

濡れ場
『ラスト、コーション』は、その激しい性的描写が話題にもなっているが、 監督アン・リーにとっても、そしてトニー・レオンや演技経験のない タン・ウェイにとってもこのようなシーンは初めての試みであったという。 これらのシーンは撮影スケジュールの中でも最初の12日間にたてつづけに撮ったという。

何故最初に撮ったのかというと、脚本がなかったからだという。 これらのシーンは、鋭い観察力を持つイーに、 ワンは自分の素性がばれることなく対峙しなければならない重要なシーンであったが、 これらのシーンが撮り終えたことで監督アン・リーは残りのストーリーを明確にすることができたという。

アン・リーにとってもこのようなシーンは撮った経験がなかったため、 スタジオにはかなり緊迫感が漂っていたという。 撮影準備が整うと、監督、カメラマン、アシスタントを除く全ての撮影スタッフをスタジオから退出させ、 トニー・レオンとタン・ウェイが集中できるように少人数で撮影を行ったという。 もちろん少人数でさえ、その場には居心地の悪い雰囲気が漂い、 誰もが楽しんでやるシーンではなかったそうだ。 演技経験の豊富なトニー・レオンでさえも、 これらのシーンが終わる頃には精神的に参りそうだったと、アン・リーはいう。

あまりに激しいラブシーンのため、撮影開始から数日間はかなりまごついていたという。 演技経験のないタン・ウェイよりも、経験の豊富な監督アン・リーや俳優トニー・レオンのほうが、 今まで築き上げてきたものとは全く違うこのシーンに対する戸惑いが大きかったようだ、と監督は語る。

主演女優として
主役のタン・ウェイは、オーディション2000人の中から見事選ばれたと言われているが、 実は監督アン・リーは1万人もの女優に目を通したという。 その中には台湾や香港で有名な女優も多くいたという。 『グリーンデスティニー』で主演を務めたチャン・ツィイーも候補の中にいたが、 本作のイメージではなかったため却下された。 アン・リーの中で、今話題の女優を使うという意識はなかった。 その中で選ばれたタン・ウェイは演技経験などもちろんなく、 一応映画学校に通ってはいたものの、演技ではなく、 監督コースに身を置いていたという。 しかし、彼女の存在はストーリーの舞台ともなる1930〜40年代、 アン・リーの親の世代の人々を思い起こさせるような雰囲気を醸していたという。


この『ラスト、コーション』を作るうえで、アン・リーは『カサブランカ』や ヒッチコックの『汚名』を初め40年代のアメリカ映画やフィルムノワール、 また第2次世界大戦を舞台にした中国映画を参考にしたという。

トニー・レオンの起用
アジアの多くの映画監督がそうであるように、 アン・リーもトニー・レオンという俳優と一緒に映画を作ることを長い間夢見ていたという。 そして本作のイーは、トニー・レオンが普段演じる人物とは真逆で、 冷酷な人物であったが、 トニーの演技経験に新しい方向性を付け加えることができたことを誇りに思っていると、アン・リーは語る。

ただ1シーンだけ、いつものトニー・レオンを表現することを許したという。 そのシーンは、ワンが宝石店で涙をためながらイーを逃がすシーンだ。 車に飛び込むあのトニー・レオンは、やはり冷酷なイーとは考えられない。

アウトサイダーとして
アン・リーは常に「アウトサイダー」(部外者)としての意識を感じるという。 現実世界よりも、映画の中でのほうが真の自分を感じることができるという。 この物語のワンが、マイ夫人を演じることで真の自分を見つけるように、 アン・リーの物語に登場する人物は何かを演じることで真の自分を見つけることが多いという。 アン・リーにとって、何かを演じることはつまり映画監督になることであり、 そこで彼は真の自分を見出すことができるという。

今回『ラスト、コーション』は中国でも公開されている。 たとえカットされたとしても、あのような内容の本作を中国で上映できることはかなりの進歩だ、とアン・リーはいう。 中国で上映できる一番の理由は、自分が「部外者」であるからだ、と彼は言う。 というのも、アン・リーは、知り合いの中国人監督に、 『ラスト、コーション』は、(純粋な中国人ではなく)アン・リーだからこそ作れたんだ、と語ったという。 中国をベースに製作を行っている監督たちにとって、 抗日が叫ばれたあの時代を舞台にした男女の激しい愛欲にまみれた映画はまだ作ることができない、 というのがアン・リーの意見だ。

『ブラックブック』
批評家たちは、ポール・ヴァーホーベンの2007年日本公開の『ブラック・ブック』に似ているという。 この『ブラック・ブック』は、第2次世界大戦を舞台に、 家族をナチスドイツに殺された女性シンガーが、 レジスタンスに助けられ、自分の声を武器にナチスの中心人物に近づくが、 次第に恋愛感情を持っていく、といった内容だ。 とはいえ、肝心のアン・リー自身はこの作品について見たことはないという。

『ラスト、コーション』は、言葉だけでなく登場人物の仕草の一つ一つにも観客の注意を向けさせる。 例えば、イー邸での恒例の麻雀では、夫人たちがテーブルを囲みながら優雅に談笑をしている。 その内容は、どこの仕立て屋がいいだとか、旦那の仕事がどうだとか、 他愛のないものであるのだが、ここで夫人たちは、 いかに普通の話をしながらお互いに探りをいれて麻雀に勝つかを争っているのだ。 お互い探りを入れるのだが、アン・リーの編集力がここで発揮される。 夫人たちの視線を絡ませるのがとても上手いのだ。 その中でも、イーが帰ってくるとマイ夫人(ワン)の表情が微妙に変化するのをとらえている。 口は普通の話をして、なおかつ手では摸打し、 さらに目でイーにも艶やかな視線を送るワンの緊張感を様々なアングルからとらえており、 ある意味このシーンが一番印象に残る、という者も多いはずだ。


参考文献
http://www.popentertainment.com/anglee.htm
http://www.reelviews.net/movies/l/lust_caution.html
http://www.moviesonline.ca/movienews_13127.html
http://www.indiewire.com/people/2007/09/indiewire_inter_110.html