マッチポイント (2005)



監督 ウディアレン
主演 ジョナサン・リース・マイヤーズ


マッチポイントとは、卓球・テニスなどで、試合を決める最後の一点のこと。

主人公のクリスはまさにマッチポイントの状態。 マッチポイントを取られているのか、それとも自分が取っているのかわからないその綱渡り的な緊張状態は 物語の最初から最後まで続く。そう、魅惑的なアメリカ人女性ノラに出会ってから、 地位も愛情も両方欲する強欲さがクリスの運命を狂わせる。 彼の運命を決めたのは一つの指輪。それはアレンのメッセージ。 「運」が私たちの人生を良くも悪くも左右するということ。

ニューヨークを愛し、 「マンハッタン」や最近では「メリンダメリンダ」といったNYを舞台にした作品を撮り続けてきたウディアレン。 驚くべきことに、今回36作目にして始めて舞台をNYからロンドンに移して撮ったというこの「マッチポイント」。 イギリスの上流階級とそこへの仲間入りをたくらむアイルランド系テニスプレーヤーとアメリカ人の女優の卵。 オペラ、絵画、乗馬といったハイソサイエティな上流階級の生き様をエレガントに映し出すとともに、 そこで渦巻く階級差がもたらす人間の醜さをところどころに露呈させる。 いや、むしろ、上流階級の人々の下品さ、口の悪さ、態度の悪さがより色濃く出ている。

クリスを取り巻くのは2人の対照的な女性。 妻となるのは、超富豪の娘で、二人の新居や自分のアートギャラリーのために父に援助をしてもらうお気楽娘。 一方、クリスの心を捉えて離さないのはアメリカから女優になるためにロンドンにやってきたブロンド娘のノラ。
このわかりやすい構図は真新しくも斬新でもない。 むしろステレオタイプとして繰り返されてきた。結婚するなら、知的なイメージのブルネット。遊ぶならブロンドのグラマラス。
つい最近でも、「キューティブロンド」というブロンドに対するイメージを逆手に取った内容の映画が好評であった。
この映画でも一見してステレオタイプに沿っているようであるが、少し違う。 ノラは自分でも言っているように、男性が放っておくことができない魅力が備わっている。 それはセックスアピールであり、彼女も十分それを承知して男を手玉にできる自信もある。 しかし、ノラは最初クリスを誘わなかった。クリスが一方的にノラに夢中になった。 そして二人が恋仲になったとき、ノラは自分の女優人生に不安も感じつつも、 クリスとの仲についてはとても堅実的に考えていた。

一方、クリスの妻、クロエは一見知的に見えるが、 何でも与えられて育ってきたお嬢様のためかクリスとの関係においても強引に事を進める。 クリスの性欲を掻き立てるような術も知らず、 二言目には赤ちゃんがほしいわ、だの1週間もセックスをしてないわ、だの。 しまいには、不妊手術にまで手を伸ばし、愛の行為を機械的な行為にしてしまう。

ノラとクリスは似たもの同士といえる。 ノラはアメリカ人、クリスはアイルランド人、アウトサイダー的な存在から、 より裕福な生活への憧れはあった。クリスは富豪娘のクロエを選ぶわけだし、 ノラもクロエの兄、トムと婚約までしていた。 しかし、ノラはトムと破局してからその憧れはすでに諦めた。 だが、クリスは愛も、金も、地位も、諦めきれず、マッチポイントの状態は続く。 だが最後には愛を捨てた。

監督ウディアレンは、なぜNYではなく、 ロンドンを舞台にしたのか、ということについて、 アメリカのスタジオでの映画撮影が彼にとって難しくなってきたことを理由にあげている。 アメリカのスタジオは彼に制作費を提供することにとても寛大だが、 同時に、製作の前の段階で台本をスタジオ側に渡すことや、 誰をキャストするかにいちいち口を挟んでくる。 それは変わり者といわれるウディアレンのやり方と真っ向から反対する。 彼は映画作家であり、誰にも台本を前もって渡さないという。 そのため、出演者に台本が渡るのは撮影の数時間前ということもありえる。

それに比べ、イングランドでは何も追及されることなく資金を集めることができた。 彼のやりたいように映画が作れたのがこの「マッチポイント」なのである。

スカーレットヨハンソンがノラ役になったことはある意味偶然である。 ウディアレンはイングランドで制作費を集めたことから、 キャストにも当然ほぼ100%英国俳優を考えていた。 そして最初にあのケイトウィンスレットがノラ役をやることになっていた。 彼女なら英国でも、そしてアメリカでもその演技力や美しさから人気や知名度が高い。 「タイタニック」のローズ役や「エターナルサンシャイン」で日本でもご存知の方も多い。 しかし、ケイトは当時映画を一つ終えたばかりで、 疲労困憊しており、さらに子供との時間も満足に取れていなかったことからオファーを断った。

そして新たにキャストするのは誰がよいか?ということで、 考え直したとき、アメリカ人でもいいのではないのか?と俳優リストの中にスカーレットの名前をみつけた。 ウディアレンはスカーレットヨハンソンの演技を「ロストイントランスレーション」と 「ゴーストワールド」で観ており、美しく、セクシーでなおかつスクリーンでもっとも映える真の女優だと思っていた。 そしてある金曜日の夜彼女にスクリプトを送り、日曜日には彼女はノラ役にOKサインを出していた。 スカーレットが最初に撮ったシーンは、映画が30分ほど過ぎたあたり、 クリスとパブで飲むシーンであった。その日の撮影は朝から始まったのだが、スカーレットは なんとアメリカからその日に飛行機で駆けつけたばかり。 ウディアレンとリハーサルもやらないまま、即席でその難しいシーンをこなしたという。 このときウディアレンのスカーレットに対する評価は確固としたものになった。 観客が、クリスが雷で打たれたような衝撃的な情熱をノラに感じるのもうなずけるような女性として。

この作品には、ウディアレンの「運」に対する思いがよく表れているという。 彼は「運」というものを強く信じているそうだ。 多くの人は、「運」が人生を大きく左右していることを認めたがらない。 なぜなら「人生は自分で創る」ことができないことになるからだ。 しかし、彼の哲学は違う。 自分の人生を決めるとき、もちろん勤勉は必要であるが、人間関係でも、仕事でも健康でも、 最後に必要になってくるのはやはり「運」である、という。

そういう彼の思いが映像として一番表れているのは、 最後にクリスが証拠隠滅のために川に投げ捨てた指輪が手すりにぶつかって川に落ちずに残ること。 このシーンは映画冒頭、クリスとトムがテニスをしていてボールがネットにぶつかって宙に浮き どちら側に落ちるかわからない、といったショットが挿入されているが、これに回帰する。 ノラ殺害の嫌疑がかけられているクリスであったが、その指輪が思わぬ展開をもたらす。

捕まるも運、捕まらぬも運。

参考インタビュー
http://www.totalfilm.com/features/exclusive_interview_with_woody_allen




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