パンズラビリンス(2006)


監督 ギレルモ・デル・トロ
主演 イヴァナ・バケロ


あらすじ

1944年、内戦終結後のスペイン山間部。 ヴィダル大尉は残忍なまでの方法でフランコ政権に対するレジスタンスを制圧していた。 そこへヴィダル大尉の妻となる出産間近の母カルメンと、 その娘オフェリアがヴィダルと生活をともにするべくやってきた。 オフェリアの父はすでに亡くなっており、このヴィダルという新しい父親の冷酷さに恐怖を抱き始める。 オフェリアはフェアリーテイルやおとぎ話の大好きな少女だった。 この地にやってきた日の夜、オフェリアは昆虫の様な醜いクリーチャーに導かれて暗い迷宮の入り口にたどり着く。 そこには羊の形をしたパン<牧神>が待ち構えており、オフェリアが地底の王国のプリンセスであると告げる。 そして王国に戻るために、3つの試練をオフェリアに与えるのであった。

本作は世界各国で賞賛され、多くの主要な賞を受賞するファンタジー大作となった。 米国アカデミー賞では、6部門でノミネートされ、撮影賞、美術賞、メーキャップ賞を受賞している。 また、カンヌ映画祭では22分間のスタンディング・オベーションを受けたという。

監督のギレルモ・デル・トロは、この『パンズ・ラビリンス』をフェアリーテールに影響を受けてファンタジー映画にした。 そしてデル・トロの前作『デビルズバックボーン』との関係性も意識して作られた。 本作はこの『デビルズバックボーン』の「続編」とまではいかないが、 内容的には双子とも言える対称性を持っている。他にも様々な作者から影響を受けた。 あの『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルや、 アルゼンチンの小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『伝奇集』、 イギリスのアーサー・マッケン作『パンの大神』、『白魔』、 ロード・ダンセイニの『牧神の祝福』、アルジャーノン・ブラックウッドの”Pan’s Garden”、 そしてスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの作品の影響があるという。

『パンズラビリンス』のスペイン語原題は”El Laberinto del Fauno”であるが、 この”Fauno”はローマ神話に登場する牧畜の神で、半人半羊の姿を持つ「ファウヌス」を意味する。 これに対応して、日本語タイトルと英語タイトル”Pan’s Labyrinth”の「パン」は、 ファウヌスと同一視されるギリシア神話の牧羊神「パン」のことである。

『パンズラビリンス』の原案は監督ギレルモ・デル・トロの「ネタ帳」から来たという。 デル・トロは20年以上もノートをつづり続けてきた。 その中身は様々で、単なるいたずら書きから、アイデア、イラスト、 そして映画のプロットまで思いついたことは何でもメモをしてきた。 ある日、『パンズラビリンス』の製作途中でデル・トロはこのノートをタクシーの中に置き忘れてしまい、 かなり落ち込んだという。しかし、2日後に運転手がわざわざ届けてくれたという逸話がある。

元々、少女オフェリアが主人公ではなく、 ある妊婦がこの牧羊神「パン」に恋をするストーリーを考えていたそうだ。 変わりに変わって、最終的なプロットが出来上がったのは撮影が始まる1年半前だという。 ヴィダル大尉役のセルジ・ロペスは、 監督デル・トロに会った時この『パンズラビリンス』の元となる考えを デル・トロに延々と2時間半聞かされたという。 デル・トロがストーリーを細部にわたって全て語り尽くした時、 ロペスはデル・トロに「脚本はあるのか?」と尋ねたところ、まだ何も書いていない、と答えたそうだ。 ロペスは、脚本が出来上がったら映画に出演する事を約束し、その1年後に脚本は出来上がった。 ロペスはこのとき初めて読んだが、デル・トロの頭脳に感銘を受けたという。 なぜなら、彼が2時間半延々と語ってくれたストーリーがそっくりそのまま脚本になっていたからだ。

撮影担当のギレルモ・ナヴァロは、本作が映画制作を志した頃の初心に帰らせてくれる作品であったという。 ナヴァロも、クエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲス作品の撮影を 務めるなど長くハリウッドで製作に関わってきたが、 本作のように母国語で、ハリウッドとは違った場所で映画制作をすることで、 スタジオ側やプロデューサーからの干渉をあまり受けることなく自由な活動ができたという。

イヴァナ・バケロ(オフェリア役)

映画の主要キャラクターに誰を起用するかでその作品の良し悪しに大きく関わってくるため、 監督ッギレルモ・デル・トロは主演女優を見つけるのにかなり慎重であったという。 そして当時10歳のイヴァナ・バケロに出会ったのは偶然だった。 主人公オフェリアは8〜9歳という設定であった。 そのため、10歳のイヴァナは少し年齢が行き過ぎていた。 そしてイヴァナのようなカーリーな黒髪はイメージになかったという。 しかし、初めての読み合わせのとき、イヴァナの魅力を強く感じたという。 デル・トロの妻も、カメラテストを担当していた女性クルーも、読み終わったあと、 彼女の演技に涙を流すほどであったという。 そのため、デル・トロはイヴァナを主演女優に抜擢し、 後は脚本のオフェリアの年齢設定をイヴァナの実年齢に合わせたそうだ。 その後、役作りのために、監督デル・トロはイヴァナにたくさんのコミックやフェアリーテールを贈った。 本好きのオフェリアの考えに少しでも近づけるようにするためであった。

セルジ・ロペス(ヴィダル大尉役)

セルジ・ロペスは母国スペインではメロドラマやコメディ作品の印象が強い俳優として知られており、 プロデューサーらも冷酷なヴィダル大尉役にロペスの起用するのは渋い顔をしたという。 しかし、デル・トロはあまり気にしていなかったという。 一方、ロペスはこのヴィダル大尉役が今までのキャリアで一番邪悪なキャラクターだという。 そして、デル・トロが作り上げたこのヴィダル大尉は、 ロペスが役作りする上で改善の余地がないほど完璧に作り上げられた人物像だったそうだ。

ダグ・ジョーンズ(牧神「パン」とペイルマン)

ダグ・ジョーンズはデル・トロの前作『ミミック』や『ヘルボーイ』にも出ている常連であるが、 本作では牧神「パン」とペイルマンの一人二役を演じている。 ダグ・ジョーンズはオファーが着てから脚本を読み、出演に意欲を見せたが、 同時に全編スペイン語での演技に不安もあったという。 デル・トロは、ジョーンズに、セリフを読むのではなく、 音で覚えるか、またはアフレコで他の声優に声を当てさせることを提案した。 しかし、ジョーンズはこれら2つの提案を断り、自らスペイン語を勉強して撮影に臨んだ。 その努力はすさまじいもので、特殊メイクに毎回5時間かかったのだが、 メイクをしている間中ずっとスペイン語で練習していたという。 残念ながら、デル・トロの判断で結局舞台俳優の声をアフレコで当てることになったのだが、 ジョーンズの努力の賜物か、彼の口の動きにぴったり合った声をダビングする事ができたという。

ペイルマン

監督デル・トロは映画内のクリーチャーに宗教性を匂わせている。 特に目玉が手のひらについているペイルマンにおいては、 キリストと子を喰らうサタンを意識したという。 このペイルマンは、もともとのデザインは、がりがりにやせ細った老人で、 皮膚が伸びている状態にしてあったそうだ。そして顔のパーツを全て取り去った時、 目をどうするか考えたという。そこで、キリストの聖痕を思いつき、 手の中心に目玉を入れることにしたという。

さらには、あるポスターを見てペイルマンが手を目のあるべき部分にもってきてものを見る動作を思いついたという。 そのポスターというのが、ある女性が叫んでいて、手で顔を覆っているのだが、 指の隙間から目が少し見えるようになっていたという。 これをヒントにペイルマンはできあがった。

英語版字幕製作

英語版字幕製作において、監督ギレルモ・デル・トロ自身が字幕翻訳作業を手がけたという。 前作『デビルズバックボーン』の英語字幕にがっかりした彼は、 見ている観客が字幕映画を見ているような気分にさせないように注意を払ったという。

ナルニア

監督デル・トロ自身、『ナルニア国物語』との類似を言及している。 両映画とも同時期に製作され、主要な登場人物は子供であり、神話的生物も出てくる。 事実、この『ナルニア国物語』の監督に抜擢されたが、『パンズラビリンス』のためにオファーを断ったという。

現実とラビリンス:寒と暖

本作では、現実世界とラビリンスの世界が頻繁に交互するため、 色のトーンを変えることで二つの世界を区別したという。 オフェリアのラビリンスでは、暖かさや情熱を感じられる暖色系を、 ヴィダル大尉に支配された残虐な現実世界は、冷たさを感じられる寒色系を用いている。 特に明確に現れるのは、屋根裏部屋から、 第2の試練のためにオフェリアが壁に線を引いてラビリンスへの扉を作るシーン。 暗い屋根裏部屋から一変、ペイルマンのいる部屋は暖かく、食べ物が溢れたダイニングルームである。



ロケーション

撮影が始まるまで、監督の時間と労力はロケーションハンティングとセット作りに費やされた。 撮影担当のギレルモ・ナヴァロは、木々に囲まれた場所を探していたが、 スペイン北部のNavarreの地に一箇所見つけた。 しかし、ある男がやってきて、この土地を使うのであれば、 制作費の半分を使用料としてよこせ、と主張するので断念せざるを得なかった。 その後マドリッドから約一時間ほどの場所を見つけ出した。 そこがヴィダル大尉とレジスタンスの攻防の場およびラビリンスへの入り口となる。

ラビリンス:戦いと逃亡の両義性

父を失い、唯一の肉親である母親はヴィダル大尉の子を身ごもり、 安静にしていなければならず、オフェリアに目をかけてやることができない。 また、継父のヴィダル大尉はオフェリアの存在を疎ましく思い、彼女は自らの居場所を失いつつあった。 そんな時に現れたのが、ラビリンスである。 これは3つの試練を乗り越えて真のプリンセスであることを証明しようとするオフェリアの戦いなのか、 それともヴィダル大尉の支配する残忍な世界からの単なる逃亡なのか? ラビリンスは上記の両義性を備えている。

オフェリアとヴィダルの召使メルセデスは徐々に母と子の様な絆を深めていくが、 その根底にはヴィダル大尉にたいする「抵抗」がある。 メルセデスはレジスタンスの一員として、スパイとして敵地にもぐりこんでいる。 オフェリアもヴィダル大尉の存在に「抵抗」するのであるが、 その方法はメルセデスのように現実的ではなく、 ラビリンスに行き、自分は地位のある高貴なプリンセスであると証明することだ。 もちろんオフェリアに与えられる3つの試練は10歳の少女にとって過酷なものであり、 それに立ち向かう彼女の勇気が証明されてゆくのであるが、 彼女の行動はヴィダル大尉と直接対峙して行なわれるものではなく内面的なものであり、 ヴィダル大尉に会ったその日からラビリンスへの入り口が開かれた事からもわかるように、 ヴィダルのいない、自由な世界を求めるオフェリアの一種の現実逃避のようにも考えられる。

だが、逃避は同時に、内面的自由の獲得でもある。 10歳の少女が肉体的にヴィダル大尉に象徴されるフランコ政権に打ち勝つことはまず不可能であるが、 肉体は拘束されても決して精神までは拘束されることはないことをオフェリアは証明している。 悲しいエンディングではあるものの、 オフェリアの想像はヴィダル大尉を抹消し、 自由と権力を持ったプリンセスになることを可能にする。 自己を犠牲にすることによって得られるものは終わりのない世界での再生であり、 オフェリアは生も死も超越した存在になりえるのである。

参考文献
http://www.ascmag.com/magazine_dynamic/January2007/PansLabyrinth/
http://www.darkhorizons.com/news06/deltoro.php
http://blog.wired.com/tableofmalcontents/2007/02/pans_labyrinth_.html
http://www.bfi.org.uk/sightandsound/feature/49337





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