イングリッシュ・ペイシェント(1996年)

監督 アンソニー・ミンゲラ

出演 レイフ・ファインズ クリスティン・スコット・トーマス



『イングリッシュ・ペイシェント』は、 マイケル・オンダーチェの同名タイトル小説をアンソニー・ミンゲラが映画化した。 アンソニー・ミンゲラは監督作『コールド・マウンテン』が日本では有名だが、 惜しくも2008年、50歳半ばにしてこの世を去った。

この映画は、作品賞、監督賞を含むアカデミー賞9部門で受賞している。 原作のマイケル・オンダーチェも、原 作の世界観が失われないように監督アンソニー・ミンゲラと協力し合ったこともあって、 映画の出来栄えについても納得しているという。

あらすじ

時は第2次世界大戦。女と男を乗せた飛行機が美しい砂漠の上を飛行する。 しかし、飛行機は地上から攻撃を受け、墜落する。男のみ助かったものの、 全身は重度の火傷を負った。 同じころ、ハナ(ジュリエット・ビノシュ)というカナダ人看護婦は、 自分たちも危険にさらされながらも多くの負傷者の看病に当たっていた。 ハナは、偶然運ばれてきた兵士から、自分の恋人が爆撃で死んだことを聞く。

1944年、男はイタリアにある野戦病院に移送された。 ハナが看護を施していた。ハナは、この男の命が長くないことを知っていた。 野戦病院から移動途中、ハナの友人は地雷を踏んであっけなく死んでしまった。 絶望にかられたハナは、戦線から離れ、 途中にある廃墟と化した修道院でしばらくこの男の看病をすることにした。

瓦礫で埋もれた修道院ではあったが、ハナは取りつかれたかのように掃除を始め、 火傷を負った男と自分が住む環境を整えた。男は記憶喪失だった。 自分の出身がどこか、自分の名前すらもわからない状態だった。 しかし、ハナが用意したベッドに横たわり、 火傷をした男は唯一持っていたヘロドトスの本を開きながら、過去に思いを馳せる。



男はアルマシー(レイフ・ファインズ)と言うハンガリーの伯爵だった。 アルマシーは英国地理学協会の研究員であり、 1938年、サハラ砂漠で地図作りを行っていた。 そこで、夫ジェフリー(コリン・ファース)と共に来ていた キャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)に出会う。 アルマシーは一目でキャサリンに惹かれた。

夫ジェフリーは英国情報局のあるカイロに戻ったが、 キャサリンは砂漠地に残った。ある日、激しい砂嵐に襲われ、 車の中でアルマシーとキャサリン二人は寄り添うように夜を過ごす。 カイロに戻り、夫ジェフリーの目を忍んで密会を重ねるアルマシーとキャサリンだったが、 キャサリンは夫に対する罪悪感に苛まれる。やがて二人の関係は、 夫ジェフリーの知るところとなる。嫉妬に駆られたジェフリーは、 セスナにキャサリンを乗せ、砂漠で調査中のアルマシーめがけて突っ込んだ。

アルマシーは運良く突撃してくるセスナをよけ、無事であった。 しかし、ジェフリーはすでに絶命、キャサリンも瀕死の状態だった。 救護を呼ぶために、一度調査中の洞窟の中に瀕死のキャサリンを残し、 アルマシーは砂漠を都市へ向かって歩き続けた。 しかし、たどりついた町では、アルマシーという名前からスパイと間違われ、 拘束される。護送列車から脱走したアルマシーは、 キャサリンを救うためにドイツ軍のもとへいき、 自分が作った地図と交換にセスナを手に入れた。セスナで洞窟に戻ると 、キャサリンはすでに息絶えていた。 アルマシーはキャサリンを洞窟から運び出し、 セスナで飛び立つ。そこで、そのセスナが撃ち落とされる。 すべてを思い出したアルマシーは、間もなく亡くなる。 彼の死を看取り、家路へと帰るハナにも、すがすがしい表情が浮かんだ。


複雑な時間軸

映画冒頭、砂漠の上を1組のカップルを乗せたセスナが撃ち落とされる。 火傷を負った男は、自分の名前も国籍も明かさない。 これから語られるのは、この男の過去についてなのか? それとも、看護婦ハナとの交流のストーリーなのか? 男の断片的な過去がフラッシュバック映像として挿入されることで、 最終的に「現在」の火傷を負った男がなぜ映画冒頭でセスナに乗り、 そして同乗していた女性は誰だったのか、 といった「過去」が悲劇として語られていく。 また、それと同時にこの火傷を負った男を看病することで、 男の不思議な魅力に触れ、ハナが絶望から立ち上がっていくストーリーも並行して語られる。

40回以上も現在と過去が入り混じるため、 なかなか一貫したストーリーとしてつなぎ合わせるのが難しいが、 何度も何度も映画を見ることで、映画を最初に見たときと見方が180度変化する。 主人公といえるべき人が現在と過去ではっきり分かれるのも興味深い。 フラッシュバックとして挿入される「過去」の主人公は、 アルマシーであり、キャサリンとの出会いと別れを中心にストーリーは展開する。 一方「現在」の主人公は、アルマシーを看病することで、 自分も癒されていく看護婦のハナだ。ハナはさらに、 キップという英国軍のために爆弾処理班として戦地に赴いていたインド人兵士と恋に落ちる。

そんな現在のハナと、 過去のアルマシーを繋ぐのがカナダ人特殊工作員として 二人のいる修道院に紛れ込んだカラバッジョ(ウィレム・デフォー)だ。 カラバッジョは、過去にドイツ軍の急襲によって捕まり、 親指を切り落とされていた。 その原因がアルマシーがドイツ軍に地図を手渡したことにあると突き止め、 アルマシーに報復を与えようと彼を探していたのだった。 カラバッジョの存在によって、アルマシーの売国行為という、 社会的に及ぼした影響がより明確に語られる。

カラバッジョは、アルマシーを殺害することを心に決めていたが、 アルマシーに起こったあまりにも悲しい過去や、アルマシーの知的な性格、 そして地図を売るという売国行為を行ったのか本当の理由を知ったとき、 カラバッジョの心からアルマシーに報復をする気持ちは既になくなっていた。


ヘロドトスの物語

アルマシーが現在も過去も常に離さない一冊の本があった。 それはヘロドトスの『歴史』だった。彼はその本を肌身離さず持ち続け、 セスナで墜落したときも焼けずに残った。 このヘロドトスは、物語を進展させるいくつかの重要な役割を担っている。 ヘロドトスを深く読み込んでいたアルマシーは、 同じくヘロドトスの一節をそらんじてみせたキャサリンに魅了された。 その一節とは、リディアの王カンダレアスと、 王妃、カンダレアスを殺害して次の王になるギュゲスの三角関係の話であった。 これはアルマシーとキャサリン、 夫のジェフリーにこれから起こる出来事を予兆する一節である。

また、ハナがヘロドトスをアルマシーに読んで聞かせるが、 それがフラッシュバックとして語られる彼の過去への入り口としても機能している。 アルマシーにとって、ヘロドトスの本は、 ただの『歴史』ではなく、アルマシーとキャサリンの歴史をつなぎ合わせる、 日記のような存在になっているのだ。 どの節を読んでも、キャサリンとの過去が想起されるような、 それほどの思い出がこの本には詰められている。


国を持たない男

アルマシーの家柄はハンガリーの伯爵家であった。 しかし、彼はその国籍をめぐり第2次世界大戦という悪環境の中で、 翻弄されることになる。 ジェフリーの運転するセスナごと墜落したキャサリンを助けようと、 砂漠を歩いて町へ出たアルマシーであったが、 ドイツ人スパイと疑われて連行されてしまう。 地図をドイツ軍に渡し、代わりに手に入れたセスナがイギリス製であったがために、 死んだキャサリンを乗せて飛行中に 砂漠に駐在するドイツ兵にイギリス軍と勘違いされて攻撃され、 セスナは墜落する。 墜落後、火傷を全身に負い瀕死の状態ながらも助けられたアルマシーは、 英語を使うことや持っていたヘロドトスの本から、 「イギリス人の患者」として扱われるのであった。


原作の映画化

マイケル・オンダーチェの原作を脚本化するにあたって、 監督ミンゲラは、よりロマンスの部分を中心に描くことで、 見る者の感情を揺るがすような物語にしようとした。 そのため、登場人物の内面も少し異なってくる。 特に、原作では複雑で魅力的な人物として描かれていたインド人のキップは、 映画の中では、ハナの恋人役といった脇役として描かれるにとどまる。 また、ハナも原作ではよりダークなキャラクターであったが、 ジュリエット・ビノシュによって表現されるハナは、 喜怒哀楽の激しい、暖かい人物となっている。

オンダーチェの原作を読んだとき、 監督ミンゲラはその文章が頭の中で映像イメージとして浮かんでいたという。 そして、プロデューサーのソウル・ゼインツに相談したところ、 ゼインツも映画化を考えていたのだが、 二人の問題はどうやって映画化するか、ということだった。 そこで、ミンゲラは断片的な映像から考えることにした。 映画の冒頭は、美しい砂漠の風紋を映し出す。 柔らかな風紋は、美しい女性の裸体のようだ。 その上を飛ぶのは一台のセスナ。 目を閉じた美しい女性がセスナに乗っている。 このように、すべてのイメージは、前もってスケッチブックに表現した。 その冊数は5冊を超えるという。


アルマシーとキャサリン:ハナとキップ

アルマシーとキャサリンの関係と、 ハナとキップの関係はとても対照的に描かれている。 アルマシーとキャサリンが所有欲にとらわれているのに対し、 ハナとキップは始めから別れを予期している、 つまり、戦争が終われば二人は別々の場所へ戻っていくことを前提とした関係である。 どちらの関係も最後には終わってしまうのではあるが、 「所有すること・されること」を一番に嫌っていたアルマシーが、 キャサリンに対して抱く強い所有欲は、 二人の関係を悲劇へともたらしていく。 一方、ハナとキップはお互いが納得して出した結論が別れという形になる。 その別れは悲しいながらも人生に抗うことなく生きる姿勢がハナとキップには見られる。



参考文献
http://www.variety.com/index.asp?layout=review&reviewid=VE1117487970&categoryid=31&cs=1
http://www.splicedonline.com/features/englishtalk.html