エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜(2007)

監督 オリヴィエ・ダアン
主演 マリオン・コティヤール

『エディット・ピアフ〜愛の讃歌』は2008年アカデミー賞で フランス映画ながら主演女優賞を生み出した作品である。 原題はLa Mome であるが、これは「小娘」という意味だが、 エディット・ピアフが名門クラブ「ジェルニーズ」のオーナー、 ルイ・ルプレに見いだされたときに付けられたあだ名「小雀(La Mome Piaf)」からきている。 『エディット・ピアフ〜愛の讃歌』は、 興行成績からしても、アメリカ国内でフランス映画として20年間で『アメリ』、 『ジェヴォーダンの獣』に次ぐ三番目に高い興行収益を出した。

あらすじ
エディットは、路上で歌いながらその日暮しを送る母親と生活をしていた。 しかし、母親はエディットに目もくれず、彼女を置いて出て行ってしまった。 戦地から帰還した父親が、エディットを娼館を営む祖母のもとへ預け、 そこでエディットはティティーヌを始めとする娼婦たちとの生活が始まった。 ティティーヌから可愛がられることで、愛されることを知って初めて笑顔を見せるエディット。 栄養不足で一度は失明するものの、奇跡的に視力は回復し、 楽しい生活を送っていた矢先、父親が戻ってきてサーカス一座にエディットを連れていく。 路上で大道芸を行う父の手伝いをやっていたエディットだったが、 ある日、父親に何か芸をやることを強要され、そこで美しい歌声を披露して観客を魅了した。 そこからエディットは歌声を武器に路上やバーで歌って生活を送るようになる。 ある日、名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレに認められ、 「小雀(La Mome Piaf)」と名付けられてクラブでデビューしてからは、 華々しい日々が続く。世界各国で有名になったピアフは、ボクサーのマルセルと恋に落ちた。 しかし、マルセルとのロマンスは悲劇に終わり、 ピアフも事故にあってからはモルヒネ中毒となり、彼女の死期を早めることとなる。



物語は、エディット・ピアフの幼い時、スターになる前、 人気が出てから、晩年といったように時間軸が頻繁に入り混じり、 エディット・ピアフの47年という短く、波乱万丈な人生を編集で表現したかのようである。 とはいえ、病気がちで娼館で過ごした幼少期の出来事は物語の序盤にかけて描かれ、 路上で歌っていたころからスターになってモルヒネ中毒になり、 映画はピアフの晩年で終わるように、かろうじて時間の流れは保たれている。

物語中で歌われるほとんどの歌が、マリオン・コティヤールではなく、 エディット・ピアフ本人の歌声だという。監督のオリヴィエ・ダアンは、 エディット・ピアフの歌声を再現することは不可能だとして、 エディット・ピアフ本人の録音された歌声を使うことにした。 しかし、ピアフが歌っている最中に倒れてしまうシーンなど、 ピアフ本人の歌声を使用することが不可能なシーンでは、フランスのステージ歌手、 ジル・アイグローを起用した。ジル・アイグローは、 よくピアフの歌を歌っていたという。 そのことを名乗り出てからあれよあれよという間にアイグローの歌声は映画に使われることになった。

エディット・ピアフという歴史に残る偉大な歌手の伝記的物語に挑んだのは、 フランスの若き監督オリヴィエ・ダアン。 ダアンは、伝記的映画にありがちな、時間の流れに沿ったストーリーテリングを避けたかったという。 そのため、本作のようなさまざまな時間軸の入り乱れるカオティックな物語になった。

脚本化まで
監督ダアンは、ある日本屋である写真集をパラパラとめくっていたという。 そこで、エディット・ピアフの17歳くらいのころの写真を初めて見たという。 その姿はパンクロッカーのように見えて、ダアンは衝撃を受けた。 次のページには、ダアンのよく知る美しい衣装に包まれた歌手としてのピアフだった。 若いころと、歌手としてのピアフのギャップにピアフの力強さを感じ、 ダアンは映画化したいと思うようになったという。 ダアンはエディット・ピアフの人生そのものに魅力を感じたわけではないという。 それよりも、小娘から歌姫に変わった人生で生じた様々な感情を映像化したかったという。 脚本の最初の10ページは映画ができる2年前に監督がLAにいるときに書いたという。 監督ダアンは、もともと文章を書くことが好きではなかったので、 エディット・ピアフの映画を作るにあたって、 脚本家を雇おうと、プロデューサーに相談したが、 プロデューサーはダアン自身に書くことを要求した。 そのため、本作はイザベル・ソベルマンとの共著になっている。

本作は、予算集めに苦労したという。 というのも、エディット・ピアフを題材にするのは、 あまりにも古臭く、客を集められない、というのが大方の意見だったからだ。 そのため1年も時間がかかり、その間監督ダアンは脚本に取り掛かった。 映画はできあがってみると大方の意見を見事に裏切った。 映画を見に来たフランスの観客の大半が10代や20代といった、 エディット・ピアフについて、あまり知らなかった若者たちだったのだ。



マリオン・コティヤールの起用
ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、歌ってはいないものの、 ピアフの16歳から晩年まで演じ切り、 ノミネートされていたジュリー・クリスティやケイト・ブランシェットを 押しのけて2008年米国アカデミー主演女優賞を受賞した。

マリオン・コティヤールの起用について、 監督ダアンは正式なオーディションなどのプロセスはなかったという。 ただ、ダアンはマリオンをピアフとしてイメージしながら脚本を進めていた。 一方マリオンは、ダアンが自分を主演にエディット・ピアフの物語を書いていると聞いてはいたものの、 ウワサということであまり期待をし過ぎないようにしていた。 その話を聞いてから約1年後、マリオンはバーで監督ダアンに出会い、 そこでエディット・ピアフについて二人は語った。 ダアンはマリオンに自分の書いていた脚本を渡し、 後日マリオンは主演を快諾した、という自然な成り行きだった。 後にマリオンが主演女優賞を受賞することを考えると、 監督ダアンの持つ直感は先見の明と言える。

マリオン・コティヤールは、ピアフの役を演じるにあたって、 特に難しかったところはなかったという。 あえて言うならば、歌に合わせてリップシンクを行うところぐらいだったそうだ。 もちろん、ピアフについてはほとんど知識がなかったため、 彼女について書かれた本を読みあさり、ピアフの映画や映像も手に入る限り見たという。 マリオンの歌声はリップシンクで聞くことはできないが、 実は1シーンだけ、マリオンの歌声が残っている部分がある。 それは、酔っ払ってガラガラの声で歌っているシーンだという。 当初の予定とは異なり、監督はそのシーンのマリオンの歌声を残すことにした。

参考文献

http://www.ioncinema.com/news.php?nid=1359
http://www.collider.com/entertainment/interviews/article.asp/aid/4618/tcid/1
http://www.emanuellevy.com/article.php?articleID=5345