Sweet Sweetback's Baadasssss Song


監督 メルヴィン・ヴァン・ピーブルス
主演 メルヴィン・ヴァン・ピーブルス



『スウィートバック』は、1971年に製作されたインディー映画だ。 監督兼主演兼脚本、音楽、プロデュース…とこの作品で、 メルヴィン・ヴァン・ピーブルスは一人何役をもこなした。 この作品を機に、70年代には「黒人映画」の中でも『黒いジャガー』や 『スーパーフライ』といったアフロアメリカンをメインに起用する ブラックスプロイテーション(baxploitation)ジャンルが次々と生み出される。

白人社会に殴り込み、 めちゃめちゃにして逃げ回るアンチヒーローを通して 人種問題に自ら触れるこの作品は、 今までのアフロアメリカンのステレオタイプを打破り、 ジワジワと観客動員数を増やして行った。 アフロアメリカンの観客はもちろんのこと、 斬新な映像効果はアートフィルムを好むシネフィルを魅きつけ、 ネタギレ感のあった当時のハリウッド映画の新たなマネーメーカーとなっていく。 この作品の成功は70年代のブラックスプロイテーション映画の土台を作り、 アフロアメリカンが主役の映画で 十分な興行収入をあげることができることを証明した。

あらすじ
映画は監督のアフロアメリカンコミュニティに対する親愛のメッセージから始まる。

舞台は1940年代、 幼いアフロアメリカンの孤児(監督メルヴィンの実の息子マリオ)は ロスの娼館で下働きをしていた。 娼婦の女に気に入られ、あまりにも早く童貞を失う。 娼婦たちは、その幼き少年の不釣り合いなまでに発達した生殖機能に スウィートスウィートバックという アフロアメリカンらしいニックネームをつけていた。

時は過ぎて1970年代。幼かったスウィートバックはたくましく成長し (監督メルヴィン自身主演)、 娼館でパフォーマーとして女とセックスをするショーを行なっていた。 ある日、二人の警官がやってきて、スウィートバックを殺人容疑で連行した。 というのは、あるアフロアメリカンが殺されたのであるが、 その容疑者が白人ではアフロアメリカンコミュニティに暴動が起きるので、 容疑者としてアフロアメリカンの誰かを捕まえ、 証拠不十分で釈放しておこうという警察の企みがあったためだ。

警察へ連行される途中、 あるアフロアメリカンを逮捕してスウィートバックとともに連行しようとした。 しかしその男が警官に悪態をつくと警官二人は その男をボコボコにリンチし始めた。 スキを見たスウィートバックは警官二人をボコボコにし、 そのまま南カリフォルニアをメキシコ国境に向かって逃げて行く。

アフロアメリカンの逃亡者は最後に必ず警察の手によって捕まえられるか、 死が待ち構えているのが今までのお決まりであったが、 本作はそのお決まりを無視し、これも観客の度肝を抜いた。

撮影まで
監督メルヴィンが『スウィートバック』の前作Watermelon Manを取り終えると、 その腕を見込んでコロンビアピクチャーズは彼と映画三本契約をオファーした。 そんな中メルヴィンは見向きもせず この『スウィートバック』の脚本作成に取り掛かった。 この『スウィートバック』のストーリーは すんなり彼の頭に浮かんだわけではないそうだ。 ある日、メルヴィンはモハビ砂漠に向かってロスのハイウェイを降りた。 砂漠に寝転がり、思い付いたのが、 虐げられたアフロアメリカンが白人至上社会を揺るがす、 というテーマだったそうだ。

シナリオを書く上で、メルヴィンは、 キレイごとばかり並べるのだけは避けるため、 自分たちが置かれている状況をリストアップすることで 問題の核心を包み隠さず映像化を試みた。

どこのスタジオもメルヴィン・ヴァン・ピーブルスに援助をしなかったため、 彼は私財をなげうってこの『スウィートバック』の製作を行った。

メルヴィン・ヴァン・ピーブルスは撮影クルーに経験は求めなかった。 それよりも、未経験の、特に有色人種をクルーに参加させることで、 「ライブワークショップ」として映画界にもっと有色人種をふやそうとした。 その結果、クルーの半分は未経験者だったという。

また、スウィートバック役を探そうと、 何人かとオーディションをしたが、 スウィートバック役が映画を通して6箇所しか台詞がないことに難色を示し、 もっと台詞を増やさなければ出ない、と主張した。 そのため、メルヴィンは結局自らが主演を務めることになる。



撮影
撮影はわずか19日で行われた。 というのも、役者たちが全て素人だったからである。 撮影中はヘアースタイルを変えてはならない、 というルールは素人の役者たちには通用しない。 いつさっぱりと髪を切ってきてしまうかわからなかったため、 19日という短い期間で仕上げた。

もちろん、スタントマンを雇うほど予算に余裕がなかったため、 メルヴィン自身がスタントもこなした。 セックスシーンも彼自身がやっている。 また、橋から飛び降りるシーンがある。 ここでは、メルヴィンが一発勝負で飛び降りたところ、 カメラマンのボブ・マックスウェルは、 「うん、今のはよかった。けどもう一度やろうか」と言い、 メルヴィンは延々と9回も橋から飛び降り続けたのだった。

メルヴィンは、悲惨なことに、 いくつもあるセックスシーンのどれかで淋病を移されたという。 しかし、なんと彼は、アメリカの映画監督達でできた組合に その性病を労災として申請した。 というのも、就業中にわずらった病だから労災だ、 というのが彼の思うところだからだ。 しかも驚くべきことに労災として認定され、 支払われた保険をフィルムを買う資金に当てたという。

組合の許可なく撮影することは、常に危険と隣り合わせであった。 現に撮影クルーもポリスに連行されることがあった。 メルヴィン自身は、銃を常に所持していたが、 ある日その目を離した隙に銃がどこかへいってしまった。 慌てて探したところ、撮影クルーの誰かが、 本物の銃と思わずに、小道具だと思い込んで小道具箱に 入れておいたことが判明した。 しかし、映画の中で銃を使うシーンがあったため、 少しでも発見が遅くなっていたら死傷者が出ていたことだろう。

『スウィートバック』で用いられる様々な撮影手法は フレンチニューウェーブに影響されているといわれる。 メルヴィンは60年代半ば、映画監督になることを志し、 パリで勉強をしていたそうだ。 そのせいか、ジャンプカットやモンタージュ、 ハンディカメラなど、計算されたショットで、 主人公スウィートバックの心境すらうまく表現している。

上映
映画は初めデトロイトとアトランタの2つの映画館でしか 上映することができなかった。 しかし、原題Sweet Sweetback's Baadasssss Songという 過激さに興味をひかれた観客が映画を見て、 口コミで評判が一斉に広がった。 2日目の上映では長蛇の列になり、そのうち全米への拡大上映となる。

映画の賛否両論は激しく、 ポルノともとれる描写やメルヴィンの子供にセックスシーンをやらせること、 女性描写が差別的であること、 人種問題に触れていることなど、多くの観点から批判を浴びた。 しかし、収益としては当時の価格で400万ドル越えと、 予算の10倍近くの数字を叩き出した。