『ブリキの太鼓』は、1959年に出版されたギュンター・グラスの小説を
フォルカー・シュレンドルフ監督が1978年に映画化した。
ギュンター・グラスの原作は、ドイツ国内での戦後文学において、
洗練された傑作の一つとして数えられる。
また、同作は、マジカルリアリズムをこの世に知らしめることとなる。
あらすじ
![]() 『ブリキの太鼓』は、アメリカのアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞してはいたが、 その青少年の過激な性的描写から、 いくつかの州で上映禁止になるなど問題作としても見られていた。 とにかく性的描写も滑稽なほど露骨で、 小さなオスカルがマリアの上に乗って腰を動かしていたり、 マリアがオスカルの父親とのセックスの後に、 妊娠を防ごうと膣を洗い流していたりする。 セックスシーンは決してドラマティックなものではなく、 人間が性行為を求める衝動をあざ笑うかのような描写である。 それだけでなく、馬の頭からウナギなにょろにょろと飛び出したり、 それを見たアグネスが魚を生のまま頭からかぶりついてしまったり、 とにかくそのような描写はグロテスク極まりない。 監督のシュレンドルフは、 オスカル役を演じた10歳の俳優ダーフィト・ベンネントがいなかったら、 この『ブリキの太鼓』映画化は実現しなかっただろうという。 監督シュレンドルフは、実際に、三歳の子供が転落を機に成長を止めることが可能かどうか、 医者に相談した。その医者によると、 何の理由もなく成長が止まる子供のケースがいくつかあった。 その一つは、実はシュレンドルフの近い所にあった。 以前、シュレンドルフの監督作『カタリナ・ブルームの失われた名誉』に 出演していたハインツ・ベネットの息子がそうだった。 そこでシュレンドルフは、すぐにベネット親子に会い、 息子ダーフィトに出演の依頼をした。ダーフィトは撮影のとき、 11歳だったが、体はわずか6歳児の平均くらいしかなかった。 しかし、彼のギョロリとした眼は、 『ブリキの太鼓』のわずか3歳ながら社会を冷淡に見つめる主人公にぴったりだ。 太鼓と奇声 3歳のころに見た大人達の醜態のせいで、オスカルは成長をやめる。 ブリキの太鼓と奇声でガラスを割る能力は、 オスカルが成長をやめたために手に入れることのできなかった腕力の代わりとなる。 大人たちに抵抗する方法として、 オスカルはそのような能力を身につけた。 そのため、オスカルはブリキの太鼓を片時も手放そうとはしなかった。 それは、オスカルが自分自身を守る盾となってきたからだ。 たとえ教室の中でも、 教師が取り上げようとすると奇声を挙げて教師の眼鏡を粉々にし、負傷させた。 太鼓は叩くだけでなく、武器にもなった。 父親とマリアが性交を行っているところを後ろから襲い、 二人が絶頂を迎えるころに太鼓でグッと二人を押し付け、マリアを妊娠させてしまう。 ![]() 戦争とマジカルリアリズム オスカルの超能力とも呼べる能力から、 ストーリーは一種のファンタジーテイストを帯びる。 しかし、それほどファンタジーと感じられないのは、 ストーリーが1920年代から40年代という、 ナチスドイツがポーランドを襲撃する現実的な戦争の風景を厳密に追っているからだ。 オスカルは強い意志のもと成長を止め、 奇声をあげてガラスを割る能力を身に付けたが、 これらがあり得ないと観客が思わないのは、「 戦時下」かつ、「堕落した大人」、というそれ相応の問題がオスカルを取り巻いているからなのである。 削除したシーン シュレンドルフが最後の最後でカットしたシーンがあるという。 それは、ドイツ軍が、浜辺で貝を拾う修道女たちを銃撃するシーンだ。 修道女たちは、空に飛び上り、 雲に紛れ込んで銃撃をのがれるのだが、 シュレンドルフは突然、修道女たちが空を飛べる能力を持っていたら、 オスカルの奇声をあげてガラスを割る能力が平凡なものになってしまう、 という理由でこのシーンをカットした。 |